1445年(文安2)創建。
法源寺の前身「正福寺」創建。開基は青木正義氏。
1554年(天文23)再建。
現在地に移築し法源寺と改称。開基は養徳院殿(織田信張の妻・織田信時の母・織田信長の妹)。矢場町政秀寺開山沢彦和尚の弟子を迎え中興開山とした。
初代 吉庭慶公首座
二代 桃岳源公首座
三代 良薫才公首座
四代 雲叟紹公首座
1672年(寛文12)中興。
貞松院殿(尾張藩主徳川義直公の側室・お佐井の方・四方様)より普請金を下付せられ再興。
矢場町政秀寺6世江天景屋和尚を開祖とし、法地開山は北潭和尚(寺史では北潭和尚は貞松院殿の子とされる)。
開山 北潭惟養和尚
二世 蓬山祖超和尚
三世 瑞紋禅賀和尚
四世 越巌宗卓和尚
五世 玉川祖球和尚
1840年(天保11)本堂再建。
六世 笑嵓玄微和尚
七世 大春止逸和尚
八世 拙安智玲和尚
1891年(明治24)濃尾地震にて全堂倒壊。
九世 説門祖教和尚。再建中に遠州へ。
十世 恭堂太静和尚。再建中に遷化。
ここに元住職第八世拙安和尚が再建に尽力し第十一世に引き継ぎ一応の完成をみる。
1897年(明治30)再建。
1901年(明治34)落慶。
十一世 瓊山禅楞和尚
十二世 栖山禅惠和尚
2009年(平成21)庫裡改築。
十三世 全提義孝和尚
十四世 正宗雅孝和尚
正福寺は元は天台宗とも伝えられる。
場所は坂井戸の地。
●開基:陽徳院殿心庵了悟大姉。
1570年(元亀元年)2月1日に亡くなる。
●開基の夫:織田兵衛佐越前守太郎左衛門尉信張公(青龍院殿月巌宗乙大居士)
小田井の領主で禄高は3万6千石。
1587年(天正15)9月22日に大津にて死亡。
●開基の子:織田(津田)又六郎信時(雲頂院殿)1574年(天正2)8月2日に長島にて戦死。
●開基:貞松院殿月鑑慈照大禅定尼(お佐井の方)(二の丸殿)
どこからみても美しいことから「四方様」(よもさま)と呼ばれた。夫は名古屋城主、徳川源敬公(尾張藩祖、徳川義直)。
●開山北潭和尚は二の丸貞松院殿の子で、本堂再建にあたり母より普請金を下付せられた。
徳川家出身の因縁により、特に寺紋として三つ葉葵を許されている。
補足:
寺宝として戦国武将の福島正則の槍が伝わる。
銘は石見守藤原正国。
正則公が清洲城入城の折、元藤原姓の青木氏(現山羽氏)が正則公より槍を拝領し、近年当寺に奉納したとの言い伝えだが詳細は不明。
山羽氏の家譜(歴史書)には槍の絵と記述が残されています。
槍・文書とも一般非公開です。